20年来の友情を阻んだもの 足りなかったのは「想像力」と「寄り添う姿勢」

私には互いに親友と呼び合える友が2人いた。ひまわりのような笑顔で周りのみんなを明るくするA子と、一緒にいるだけで安らげる温かくてやさしい空気をもった陽だまりのようなB子。ともに学生時代に出会い、以来20年近く多くの苦楽を共にしてきた。

B子とはいまでも毎日のように互いの近況を話す仲だが、A子とは数年前から疎遠な状態が続いている。環境の変化とともに友人との関係性が変わるというのは、よくある話だ。ただ、彼女に対してはそれだけは割り切れない感情を抱いていた。

友情にひびを入れた「価値観の否定」や「押し付け」

いまから10年ほど前のことだ。恋愛に奥手だった私は、当時の彼(いまの夫)と半年近くデートを重ねていたものの、なかなかそこから先に進展せず悶々とした日々を送っていた。そんな私たちの様子をもどかしく感じたのか、A子は「そんなんだから○○(筆者)はダメなんだ。酒でも飲んだ勢いでいったら?」と言い放った。思いがけない一言に、私は思わず耳を疑った。そもそも私はお酒が飲めない。彼女もそのことは知っていたはずだ。上から目線で一方的に説教じみたことを言われたが、「恋愛経験は彼女の方が豊富だ」という引け目から、私は何も言い返せなかった。が、深く傷ついた。なぜ、自分の人格を否定されなければならないのかと。その後しばらくして彼女からもらった手紙には「この前は説教みたいになってしまったけど、今回のことでお互いの距離が縮まったと思う」と綴ってあり、私はさらに彼女との間に溝を感じるようになった。

そんな状況から私を救ってくれたのが、B子の言葉だった。「なかなか進展がないのは、○○(夫)さんが○○(筆者)のことを大切に想っている証拠。そんなに想われていて、うらやましい。○○(筆者)が誠実で真面目だからこそ、出会えた相手だよ」。彼女もそれまで恋愛経験は重ねてきていたが、それでもこちらの気持ちに寄り添い掛けてくれたこの言葉が、私の背中を大きく押してくれた。

A子との友情はその後も続いたが、互いに結婚し、彼女が第一子を妊娠したときに、またひと悶着起きた。渋谷のカフェでランチをしながら彼女の今後について話していると、「保育園なんかに入れたら、子どもがグレるし可哀そう」と3歳児神話を盾に自分の言い分を主張し始めたのだ。その頃、私はまだ妊娠さえしていなかったものの、将来子どもができても仕事は続けたいと思っていた。さらに、当時勤めていた会社で子育てと仕事の両立に奮闘している同僚たちの姿を見ていたこともあり、彼女の言葉を聞き流すことができなかった。正面切ってA子に反論したのは、おそらく初めてだっただろう。そんな私の様子に彼女も当惑し、「なぜ、私の味方になってくれないの?○○(筆者)を遠く感じる」と泣いた。

それから2~3年は変わらず数ヶ月に1度のペースで会い、ランチをしたり、カラオケにいったりという関係が続いた。が、専業主婦になった彼女はだんだんと卑屈になり始め、フリーランスとして働き始めた私に対して「自分とは住む世界が違う」と言うように。私と彼女の時間は、あのときから止まったままだ。

「被害者と加害者」という考え方から離れ 相手の気持ちに歩み寄る 互いの正義をぶつけ合っても、生まれるのは争いだけ

あれから4年以上が経つが、なぜ彼女に対する感情がいまもまだ“しこり”として残っているのか。改めて考えてみると、常に対人関係で悩んできた自分の過去がよみがえる。物心ついた頃から一緒に遊んでいた幼馴染は中3のときにポケベルを手にしたことをきっかけに、素行が悪くなり、高校も男の人と同棲するという理由で中退。その後、17歳でシングルマザーとなった。あの頃の私は、彼女のそうした行動にはついていけず、大切な親友を失った。以来、友人関係においてもどこか臆病になっていた気がする。そんな私に親友のいる喜びを再び教えてくれたのが、高校時代に出会ったA子だった。恋人もおらず、親ともそれなりの関係だった私にとって、「友人」の存在はかけがえのないものだったのだ。

これまで「自分の価値観を否定されたこと」や「彼女の価値観を押し付けられたこと」ばかりに焦点を当て被害者面をしてきたが、きっと彼女には彼女なりの言い分があったのではないかと思う。B子も、産後しばらくは専業主婦だったが、それぞれが置かれている環境は違えども良い関係を築いてこられたのは、常に互いの決断を尊重し、その気持ちに寄り添い合ってきたからだと感じる。

互いの正義をぶつけ合っても、争いしか生まれない。自分と同じ気持ちになりきれない人もいるのだということを、常に念頭に置いておくべきなのだろう。A子と言い争いになったあのとき、彼女の気持ちを想像し、少しでも寄り添うことができていたら、何かが変わっていただろうか。

4月生まれの私と、5月生まれのA子。高校時代から毎年欠かさず「おめでとう」を言い合ってきたのだが、数年前から彼女からの誕生日メールがこなくなった。彼女の誕生日に私がお祝いのメッセージを送ると、「忘れていてごめんね。遅くなったけど、おめでとう」と返信がくる。その言葉を見る度に私は寂しさと虚しさを感じるのだが、「今年はやめておこうか」と迷いながら、結局いまもまだ彼女にメールを送り続けている。ほぼ絶縁状態だとわかりながらも、また昔のように笑い合える日がくることを心のどこかで願っているのだろうか。10代~20代の楽しかった日々を思い返すと、そこには必ずひまわりのような笑顔で微笑む彼女の姿があるからなのかもしれない。

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