私の“こうあるべき”と母の存在

「お母さんみたいになりたくない!」と言い放ったのは、私がいくつの時だっただろう。中学生、もしかしたらすでに高校に進学していたかもしれない。いつ頃だったか記憶はぼんやりとしているが、車を運転する母の横顔が寂しそうに笑っていたことだけは鮮明に覚えている。

あれから20年以上の歳月が経ち、私も親になった。そして、気付いた。自分がどれほど“母の存在”にとらわれていたのか、ということに。

平凡でつまらなそうにみえた母の人生

“ど田舎”とまではいかないが、スタバやTSUTAYAまで車で30分。低層の住宅が立ち並ぶこの町で、母は私と1つ下の妹を産み、育ててきた。私たちが幼稚園にあがるまでは新聞配達や内職をし、以降は家から近い会社でパート。帰りに近所のスーパーで買い物をし、夕飯の準備、父が帰宅したら彼のために再び台所に立ち、最後にお風呂に入って、テレビを観て寝る。週末は、父とイオンに買い物に出かけ、時間にうるさい祖父のことを気にかけて夕方には帰宅。父が一緒に食卓を囲むことで、平日に比べれば多少はのんびりする時間はあるものの、あとはいつも通り。そんな生活を繰り返す母の毎日は、とても平凡でつまらないもののように私の目には映っていた。

けれど、記憶の中の母は、いつも笑っていた。楽しそうだった。好奇心旺盛で、身近なモノ・コトに楽しみを見つけるのが得意な母。今も毎日のように孫と楽しそうに遊ぶ彼女の姿は、私の記憶の中にある母そのものだ。

あの頃、新しい醤油が見つからないとき、服のボタンがとれてしまったとき、家族の誰しもがまず「お母さーん」と母の名を呼んでいた。きっと母がいなければ、私たち家族は崩壊していただろう。大切な人に必要とされる。これもまた十分すぎる幸せ。何を大切にし、何に幸せを感じるかは人それぞれ。母の大切にしているものを否定し、傷つけてしまった。そう気付いたのは、ずいぶんと後のことだ。

母となった自分に課したルール

私自身が母親になり4年半が経つ。在宅勤務で、自分の両親と同居。ありがたいことに、比較的、育児との両立が図りやすい環境にある。でも、私はなかなか周りに「助けて」と言えずにいた。

昔、母はパートで働きながらも、掃除・洗濯・料理などすべての家事を1人でこなしていた。それでいて、私たち姉妹の前ではいつも楽しそうで、いろんな遊びを教えてくれた。かたや、私は夕飯の支度やお風呂掃除は母と交代でやっているし、単世帯で暮らす人たちに比べたら、ずいぶんと両親には助けてもらっている。恵まれているんだから、甘えてばっかりいないで、子どもの面倒くらい自分でちゃんとやらなきゃ・・・そんな風に思っていた。

「育児は母親がやるもの」という考え方はアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)だと認識していながらも、息子を0歳から保育園に預けたことに対する罪悪感からか、「仕事以外の時間は、すべて息子にコミットしなければ。全力で向き合わなければ」とも。

例えば、保育園のお迎え。どんなに忙しくても、「私が迎えにいかなくては」と時間ギリギリまでパソコンに向かい、大慌てで保育園に駆け込む。休みの日は、掃除・洗濯など必要最低限の家事をこなしているとき以外は、息子と過ごす。そんなルールをいつの間にか自分に課していた。

親のあり方も子どもとの関係性も多種多様

それでも、消えぬ罪悪感。「もう少し仕事量を抑えて、子どもと過ごす時間を増やすべき?」自分の裁量で仕事ができる環境にあるからこそ、事あるごとにそう悩む日々が続いていた。

この気持ちを友人に打ち明けると、彼女はこう言った。「私の母は、私が小さい頃からフルタイムで働いていたから、家にいないのが当たり前だったよ。逆に、たまに家にいると、なんで?って思った」。別の友人はこうも言った。「母は専業主婦だったから、1日中家にいて監視されているようで何だか嫌だった。子どもながらに、働きにでも行ってくれないかなと思っていたよ」

目から鱗だった。親のあり方も、子どもとの関係性も多種多様。いろんなカタチの家族がいて当たり前。そんなことも忘れていた、というか見えなくなっていた。私がいかに“自分の母親”を、“一般的な母親像”“母のあるべき姿”として捉えていたかを思い知った。知らぬ間に、その姿を追い求め、“こうあるべき”というルールで自分自身を縛り付け、勝手にもがき苦しんでいた。

“こうあるべき”からの解放

自分の偏見に気付いたからといって、すぐに克服できるわけではない。アンコンシャス・バイアスは何とも根深い問題だ。でも、最近では“私がしなければ”“こうあるべき”のマイルールを少しずつ緩め始めている。仕事が立て込んでいてお迎えがギリギリになりそうな日は、すでに退職し時間を持て余している父にお願いするようにした。休みの日も、疲れが溜まっていれば、小一時間ほど夫や両親に息子をみてもらい、私はお昼寝をしたり、本を読んだりして、パワーをチャージする。

頑なに“こうあるべき”に縛られず、そのときの状況や心身の状態に応じて、周りに頼る。そうさせてもらえる環境にあることに感謝し、息子や家族との時間を心から楽しめるようなコンディションに自分をもっていけるよう心掛けている。

***

先日、いつもより早く仕事が片付きそうな日があったので、息子に「今日は早めにお迎えにいくね!」と言うと、「最近、ママばかりでつまらないんだけど。たまには、ジージのお迎えがいい」との答えが返ってきた。息子にしても、必死の形相で駆け込んでくるママよりも、笑顔で、存分に甘やかしてくれるジージが来た方が、そりゃ楽しいか!と、これまた目から鱗。

よくよく思い返してみると、私と妹を幼稚園バスのバス停まで迎えに来てくれていたのは祖父だった。確かあの頃、母はパートに出ており、すでに退職していた祖父がお迎え当番。私と妹と祖父、3人で手をつなぎ、よく歌を歌いながら家までの道を歩いて帰った。その道中で、拾い集めたBB弾。そのカラフルな玉のように、キラキラと色鮮やかで温かなあの頃の思い出が、今も私の日々を彩っている。