絵本に学ぶ「個」と「多様性」の大切さ

おそらく誰もが一度は目にしたことがあるであろう「バーバパパ」。家族一人ひとりの色が違って、体のカタチも自由自在に変えられる、実に魅力的なキャラクターたちが繰り広げる物語だ。

私の息子もこの絵本シリーズが大好き。先日、「バーバパパのがっこう」を読み聞かせていたときのことである。ページをめくっていくにつれて、「あれ?あれ?これってもしかして・・・」と私のアンテナに引っかかるものが。

内容はこんな感じだ。

バーバパパの一家が町の学校を訪れると、生徒がむちゃくちゃの大騒ぎ。先生は完全にお手上げ状態。親たちが「子どもは、びしびししつけることが肝心だ」と叫ぶなか、バーバパパは次のような言葉を口にする。

「こどもは、たのしみながら べんきょうさせて やらなくちゃ いけません。」

「おんがくが すきな こどもも いるし、とりや どうぶつが すきな こどももいます。そんな じぶんの だいすきな ことを べんきょうするのなら、きっと、よろこんでやりますよ。」(引用:バーバパパのがっこう)

そして、それぞれが自分の好きな音楽や体操、ゲームなどを通じて楽しく幸せに学んでいくというストーリーである。

同書が発行されたのは1970年代。日本では近年ダイバーシティ・マネジメントを取り入れた経営が少しずつ広まりを見せ始めているが、この物語が生まれた国、フランスでは50年以上も前から「個」や「多様性」の重要性が描かれていたのだ。

非行の原因は生きづらさ?

この話を読み終えた後、ふと中学時代の記憶がよみがえってきた。当時、私の通っていた学校は荒れており、若い女性教師は生徒にからかわれ授業中に号泣。暴走する生徒らを抑え込もうとしたベテラン教師は殴られる。授業中に校舎の間をバリバリと爆音を立てて走り抜けるバイク。まさに学級崩壊状態。ちまたでは、「“赤バック”(私たちの学年が通学に使用していた鞄)には気を付けろ!」という言葉が流行ったほどだ。

昔から真面目だけが取り柄で正義感の強かった私は、こうした彼ら/彼女らの行動に怒りを覚えたこともあった。だが、いまになって思う。あの非行少年/少女たちは日本の一様性や集団の調和を重視した「右向け右の教育」に息苦しさを感じていたのかもしれない、と。私自身は勉強が好きだったし、何の疑いももたずに「規律は守るもの」と思い込んでいたため、この教育方針に抗うことはなかった。しかし、彼ら/彼女らは違ったのだ。

私自身が「生きづらさ」を感じるようになったのは、社会人になってからだ。新卒で入社した会社は鉄鋼メーカー。いわゆる高学歴・理系出身のエンジニアが多くを占める職場環境において、公式と記号に苦手意識がある完全に文系の私は居心地の悪さを感じるように。「鉄は生きている!」と真顔で語り、難しい専門用語を並べ立てる彼らを前に次第に劣等感を抱くようになっていた。(もちろん、素人の私にわかりやすく教えてくれる人も多かったのだが・・・)

結局、この会社における自分の存在意義や価値を見出せず、また前回の記事「未来の選択とロールモデルの大切さ」で語った通り、会社の求める方向性と自分のやりたいことが合致していなかったため退職を決意したのだ。ただ、辞めるときになって先輩方から「本当はうちの部署にきてほしかった」「現場サイドから見て、最も頑張っている社員の1人だった」などという言葉を掛けていただき、周りが自分に価値を見出してくれていたことを知った。

自分らしさ・個性を大切にする生き方

米国を皮切りに、日本でも「ダイバーシティ」の大切さがうたわれるようになってきた現在、企業も人材の多様性を推進。学歴主義からの脱却も進みつつある。従業員一人ひとりの「個性」を活かし、パフォーマンスを最大限に発揮できる環境が整えば、さまざまな視点によるイノベーションも生まれやすくなり、企業優位性を確立できるからだ。

私自身はひとりの親として、学校の成績のみにこだわらず、子どもの「個性」を大切にしていきたいと思う。プチ反抗期を迎える3歳の息子に日々苛立ちを覚えては罪悪感に苛まれ、いまから思春期の荒波を恐れているので(笑)、正直うまくできるかどうか不安はある。が、この子が他人と比較することなく自分の個性を大切に楽しく歩んでいける、そんな環境をつくっていきたい。「わくわく」を選択したその先に待っているのは、きっと自分色に輝く豊かな人生なのだから。