未来の選択とロールモデルの大切さ

「で、あなたはいったいどうなりたいの?」―当時入社4年目の私に上司が言い放った一言だ。

学生の頃から「文章を書く仕事に就きたい」と思っていた私は、就活で出版社や広告代理店に的を絞り応募するも、ことごとく落選。アメリカの大学を卒業していたため、就活の時期も同級生たちより1年遅れ。気持ちばかりが焦るなか、毎日のようにエントリーシートや履歴書を書き続けていた。最終的には自費出版を主軸事業とするS社から何とか内定を獲得することができたのだが・・・喜びもつかの間、その数ヶ月後に同社が倒産。社長は雲隠れ。もちろん内定も取り消しだ。

4月入社を予定していたのに、その年の1月にまさかの事態。晴天の霹靂だった。慌てて就活を再開した私は、もはや業種や職種などにはこだわっていられず、希望の条件をある程度満たしている会社の面接をかたっぱしから受けた。幸いにも、「グローバル広報」を募集していた前述の会社から3月20日に内定をもらい、何とか4月1日の入社式に間に合う形で社会人としての一歩を踏み出したのである。

キャリアビジョンが描けない・・・「私はどうしたいの?」

社員のキャリア開発に力を入れていた同社では、毎年の業務目標に加えて、数年先を見据えたキャリア開発計画を設定することが求められた。自分のキャリアビジョンを具体化し、実行すべき能力開発課題を明確にする必要があるのだが、当時の私にはこの会社で自分がどうなりたいのかがわからず、毎回頭を悩ましていた。そんな私に苛立ちを覚えた上司が言った一言が、「で、あなたはいったいどうなりたいの?」であった。

あの頃の私の主な業務は社内報やイントラネット向けの取材・記事制作・翻訳。「出版社で働く」という夢は叶わずとも、「文章を書く」という自分の「好き」を仕事にできていた。その状況に私自身は満足しており、「どうなりたいの?」「何をしたいの?」と聞かれても、「書くことを続けていきたい」としか答えられなかった。

しかし、いまになってあのとき上司が私に何を期待していたのか、なぜあんなに苛立っていたのか少しだけわかる気がする。彼女が求めていたのは、「グローバル広報」として会社のコミュニケーション戦略などを立案・実行していく人材・いずれは彼女の後継者としてマネジャーを目指す人材であり、「ライター」ではなかったのだ。

人生の選択に必要なのは自分軸を見つけること

この経験を振り返り、もう一つ感じるのは未来の選択におけるロールモデルの大切さだ。当時、広報部のメンバーはこの50代の上司と新卒の私のみ。身近に適切なロールモデルがおらず、何を目指してどう進んでいけば良いのか正直わからなかった。

海外には同世代や少し上の世代の同僚もおり、年に1度のグローバル会議で顔を合わせることはあったのだが、この経験がまた私を悩ませることになる。日本から見てほぼ地球の裏側に位置するアルゼンチン・ブエノスアイレス。この地に世界各地の同僚が一堂に会し、一週間にわたり昼間は研修や会議、夜は立食パーティーを行うという一見華やかそうに見える世界。生後1歳に満たない子どもを置いて出張に来る同僚もいた。彼ら/彼女らの働き方・仕事に対する姿勢を目の当たりにし、私は感化されるどころか戸惑いを覚えたのだった。

「ここは私がいるべき世界?本当に自分が望んでいる未来なのか?」と。

家庭第一の母の背中を見て育ってきた影響か、自分自身に「幼い子どもを置いて海外出張に行けるか」と問うてみると、答えは「No」だった。当時はまだ独身だったが、「将来子どもができたら、もう少し家族との時間に寄り添った働き方をしたい」。そう強く思った。

そんな私が選んだのが、フリーランスの道である。母親になったいまはライター・翻訳家として専門性を磨きながら、午後4時には保育園に息子を迎えに行き、できる限り一緒の時間を過ごす。そんな生活を送っている。

多様な働き方が推進されるようになってきたいま、「自分軸を大切に心地よく働き、自分らしいキャリアを築いていくこと」、これもまた1つの道である。また、「仕事だけがキャリアではない」とも思う。何をやっても不器用で家事が苦手な私は、掃除や料理も誇るべきスキルの1つだと感じるからだ。キャリア開発計画とは、自分がどんな生き方をしていきたいかを考え、人生の道筋である”ライフパス”(Life Path)を描くことなのではないかと思う。そして、自分自身がこの答えにたどり着くまでに悩み、迷ったからこそ、未来の世代が将来の目標や道筋を決める際の指針となる多様な働き方や生き方をロールモデルとして描いていきたい。そんな情報を世に提供できるような媒体を作っていくことが、私のこれからの人生の目標だ。

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