普通って何?「常識」という言葉がもつ多面性
「あの人って変わってるよね?」―誰もが一度は言ったことがある台詞ではないだろうか。私もこれまで幾度となくこの言葉を口にしてきた。
特に、以前勤めていた会社では「え?」と思うような言動に触れることが多かった。そんなこともあり、元々人付き合いがあまり得意ではなかった私は、同世代の集まりや飲み会への誘いを極力断り、同僚たちと一定の距離を置くようになった。
それでも、苦楽を共にする仲間は欲しいもの。自分と価値観が近く居心地の良い数人と仲良くなり、数ヶ月に一度くらいのペースで集まっていた。なぜそうなったのか覚えていないが、「会社では自分たちが仲が良いことは公言しない」という暗黙のルールのもと。自分たちのことを「常識のある人間」だと認識し、よく「この会社って、変わった人が多いよね」と愚痴っていた。
「自分の常識=世間の常識」ではない
でも、いまになって思う。なんて排他的な考え方だったのだろうと。自分と価値観や考え方の違う人たちを「変わっている」とひとくくりにして、勝手に壁を作り、相手としっかり向き合おうとしていなかった。
「自分の常識=世間の常識」ではない。あの頃、私が「変わり者の集団」だと決めつけていた集まりは、実は自分とは違う価値観も尊重したうえで相手を認め、むしろその違いを「刺激」や「学び」として楽しんでいる「インクルーシブな集団」だったのかもしれない。
もちろん自分が不快だと感じる相手と無理に付き合う必要はない。ただ、価値観の相違が多少あったとしても、すぐに壁を作らず、まずは相手を知ろうとすることが大事だといまは感じる。
夫は言う。「自分は変わり者だ」と。ということは、彼に価値観が似ている私も「変わり者」だということか!?いや、私は自分のことをいたって普通だと認識していた(笑)。自分にとって普通なことでも、他人にとっては普通ではない。「常識」という言葉がもつ多面性。これを認識したうえで生きていれば、世界が少しずつ広がり、もっと人生を楽しむことができるのかもしれない。
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