自分が心地よいあり方 私が夫を選んだ理由

「お茶くみは女性の仕事」―日本のそんな古い風習に嫌悪感を抱いたのは、高校生の頃。当時、女子高に通っており、力仕事もすべて自分たちでやっていたからなのか、「女性はこうあるべき」という考え方にどこか反発する気持ちがあった。

親友いわく、“いかにもか弱そう”にみえるらしい私に「荷物持とうか?」と尋ねてきた男性もいるが、必ず「大丈夫だから!」とその申し出を断っていた。一度など、ジェントルマンを気取る同期と、鞄の取り合いになったこともある(笑)“絶対に女性に重いものを持たせたくない彼” VS  “意地でも自分の荷物は自分で持ちたい私”。コンビニの前で、鞄の引っ張り合いだ。いま思い返すと、何とも滑稽である。

もちろん、彼のこうした態度を「優しさ」だと感じ、そこに惹かれる人もたくさんいるだろう。一方、私は自分でも「かわいげのない女だ」と思いつつ、相手の意思を尊重し、譲ることがどうしてもできなかった。

こんな性格だからなのか、ある程度の年齢になるまで男性からは一定の距離を保って接せられることが多く、私もまた一歩踏み込んで接してみようとは思わなかった。

「女の子扱い」されるのは嫌!求めていたのは互いを補完し合う対等な関係

そんな私も29歳のときに、めでたく結婚。価値観が似ていて気の合う夫とは、「別れる理由」が見当たらなかったので一緒になったのだが、後になってよくよく考えると、彼は私がパートナーに求める最も重要な条件を満たしていた。それは、「相手(女性)を対等に扱う」ということだ。

まだ、彼と付き合う前、当時暮らしていたアパートの玄関前のインターホンが夜9時過ぎに連日鳴ることがあった。「オートロックなのに、なぜ?こんな時間に誰!?」と、偉そうなことを言っていても基本的に心配性な私は怯え、彼に相談すると、こんな答えが返ってきた。「自分じゃ頼りないかもしれないけど、1人よりも2人の方が心強いし、良かったらその時間は一緒にいようか?」

あのとき、「大丈夫。俺が絶対に守るから」なんて言われていたら、彼と結婚していなかったかもしれない。とにかく「女の子扱い」されるのが嫌いだった。そう、私は昔から「男性と対等でありたい」という気持ちが強かったのだ。いまさらながら、生涯のパートナーに夫を選んだ理由が腑に落ちる。

小さなクモが部屋の中をはっているだけで、悲鳴を上げて助けを求めてくる夫。なんだか頼りない気もするが、そこがまた良い(笑)結婚して9年目、いまでも互いの足りない部分を補完し合いながら、良好な関係を築いている。

人によって、「自分がどうありたいか」や「相手に求めること」は違うもの。私にとって心地よい生き方、それは「相手と対等な関係でいられる自立した女性」であることだ。と、豪語しつつ、「肩もんで~」「あれ買ってきて~」と甘えることも多い(笑)互いを認め合った真に対等な関係でいられるからこそ、肩肘張らず、甘えたいときには素直に甘えられるのか!?と思う今日この頃である。

ちなみに、インターホン事件の真相はというと・・・隣に引っ越してきた人が挨拶に粗品を持って来てくださっただけであった(笑)

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